【目次】

●1
「あっ!通じた!」
その喜びを知った時から


●2
東京に住んで「ながら先生」

●3
郷里群馬にて 再開
生徒は「4人」


●4
追い出された公民館

●5
二度目の壁

●6
仲間がふえた
「一緒にがんばろう!」


●7
さらに飛躍をするために
ステラエデュケーション誕生


●8
現場から生まれた教材
”英語紙芝居”


●9
21世紀の子供達へ
ステラエデュケーションの願い

ステラエデュケーションストーリー

●1 − 「あっ!通じた!」 その喜びを知った時から

引っ越しが多く、故郷・群馬にようやく戻ってきた小学校2年の夏。
たくさんのお友達にも恵まれ、楽しい毎日。
ひとりっ子の私にとって「本」も大切な友達。
私は図書館が大好きで、本棚の端から読みあさっている小学生でした。

ある年の誕生日。叔父が私に1冊の本をプレゼントしてくれました。
それは、カタカナでフリ仮名が振ってある「英語の本」でした。
私は夢中で読み、カタカナを自分のイメージで英語らしく呟いていました。

小学校4年生のある日、この田舎町に外国人がやってきました。
ソフトボールの親善試合のためにオーストラリアから来た女子学生。

なぜか「今日しかない!」と直感した私は、
叔父からもらった本を抱えて
試合の行われている公園のグラウンドへ走りました。

たったひとつ覚えた英語を繰り返しながら。

しばらくすると、1人のブロンドの女性が
こちらへ歩いてきました。
私はドキドキしながら、思い切って話しかけました。

”Excuse me? What time is it now?”

するとその女性は、自分の腕時計を私に見せながら答えてくれました!
残念ながら彼女が答えた言葉は解りませんでしたが
彼女は片手を前にだし、彼女の腕時計を私に見せてくれました。

「あっ!通じた!」

嬉しくて ”Thank you!” というのがやっとでした。
「英語のせんせいになりたい!」と思ったのは この時です。


●2 − 東京に住んで「ながら先生」

東京での外資系OL時代、月に80時間を越える残業をしながらずっと考えていました。
いつ、どうやって先生になろうか。そのために自分は今、何をすべきか。

迷いながらも、とある大手のフランチャイズ教室の派遣講師の道へ。
結婚を機に会社を辞めて英語の先生になろうと決心した矢先、
他の会社にヘッドハンティングされました。

良い条件ではありましたが、夢は捨てきれず、交渉の結果 週に2日だけ先生をすることに。
任されたのは、幼稚園児から小学6年生までの子供達。
研修と、プランの添削と、結構厳しいチェックはありましたが、忙しくも充実した日々は
とても楽しくて、先輩のレッスンもよく見学に行きました。
土日は、近所に住むインターに通う日本人の子ども達相手に自宅でレッスンをしていました。

あの時の子供達はとっくに社会人になっているはずです。
あれから20年。どんな大人になっているだろうか。
あの頃楽しく英語を学んでくれていただろうか。
今でも時々思い出します。


●3 − 郷里群馬にて 再開 生徒は「4人」

出産を機に、群馬に戻り教室を再開しました。
1989年、声をかけてくれる人がいてのスタートです。
ただ待っていれば、大勢の生徒が集まるのだと楽観していました。

答えはNO!

東京では営業の経験はなかったのですが、
チラシを作ってポスティングしたり
子供達が集まる場所でチラシを配ったりしました。
幼稚園の駐車場でも。
何百枚配ったでしょうか・・・
しかし、集まったのはたったの4人。

英語は中学からで良いと云う方が多く、
児童英語には興味を持ってもらえない。
厳しい現実に直面しました。

間借りの6畳1間に、折りたたみのテーブルとホワイトボード。
4人の幼児を相手にレッスンの再開です。 長女が生後6ヶ月のことでした。
ちっともお金にならなかったけど、週に1度、とても楽しくて、活き活きしていたと思います。
田舎には資料がありません。 幼子を抱えて東京へもなかなか行けません。
インターネットも十分でない時代。 必死であれこれ文献を探しては参考にしていました。
子供が寝たあとも、折り紙をおったり、色をぬったり、
あれこれ準備をすることが楽しくて過ごした時代でした。


●4 − 追い出された公民館

段々と口コミで生徒が増えていきました。 教室の隣は司法事務所でした。
子供達の嬌声に、壁が「ドンドン」なります。
うるさいと苦情が・・そして、ついに 出て行かねばならない羽目に。
しかし資金もありません。 近くの公民館長に交渉して ひと部屋 借りることができました。

一生懸命でした。
自分の夢に向かってひとつひとつ。
何でもできることはやってみようと努力を惜しみませんでした。
自分の子供も3歳になって、これからライフワークを組み立てようと思いヤル気満々でした。

生徒が増えていくと同時に、「意」を同じくしてくれた仲間ができました。
長いこと指導にあたっていた今のパートナー、庄司英子です。
2人とも、まだ幼子を抱えていました。
毎回、車に荷物や教材を山のように積んで交代でレッスンをしていました。
そしてついに生徒が50人を越えた時、公共の場を個人にこれ以上貸せない、
という区民の声があがり、やむなく出る事になりました。


●5 − 二度目の壁

ヤル気満々でいた私に「病」がふりかかりました。
長女が肺炎で入院中に偶然見つかった 首の付け根にできた腫瘍。
地元の病院から大学病院へ移り、さらに違う病院へ移され手術が決まりました。
切ってみないとわからない、という医師の言葉。
幼な子を抱える母としての自分、仕事を続ける意を決した自分、
精神的にもかなり落ち込み、肺炎で入院をするほど弱っていました。30代前半です。
絵本をカセットに録音し、苦手な裁縫でスカートを縫って、子供へ手紙を書き綴りました。

母親になってこれほど自分の病につらさを感じた事はありませんでした。
その時、何も言わず教室を守っていてくれたのは かけがえのないパートナー・庄司英子でした。

幸いにして私は元気に退院をしました。その後6ヶ月の通院を経て、決心をしました。
自分に万一のことがあったとき、子供を独りにしてはいけない。
そして第二子を授かりました。
妊娠中は10ヶ月の悪阻で入退院を繰り返しました。
頼みの綱の母も難病で入院をしており、誰にも頼れない状況を何とか乗り切りました。

第一子を授かってからの5年間は、目まぐるしい変化がありました。
その変化がさらに私に仕事をすることの意味を考えさせてくれたきっかけにもなりました。


●6 − 仲間がふえた 「一緒にがんばろう!」

仕事に復帰してからまもなく、やっと自分たちの教室を借りることができました。
すごく古い建物でした。庄司と2人で来る日も来る日も掃除をしました。
交渉して安いカーペットを敷き詰めてお下がりの机を入れて・・・

自分たちの城です。
古いけれど広くて念願の教室でした。

自分達の子供達がまだ小さかった私達は、幼児から小学生だけを指導していました。
しかし、同時にこの子たちは、この先どうなるのだろう・・・ずっと悩んでいました。
そこに「一緒にがんばろう!」と言って仲間が加わりました。
当時、まだ若くて結婚前の石坂悦子です。自分の教室をたたんで来てくれました。
現在、指導部長をしています。

中学部のスタートです。 そして まもなく もう一人加わってくれました。
ステラちゃんの絵の生みの親である阿部美幸です。とても嬉しく心はずみました。

一緒にがんばれる仲間がいることは、子供達だけでなく
私達大人にも どんなに励みになることか。


●7 − さらに飛躍をするために  ステラエデュケーション誕生

生徒は口コミで、さらに増えていきました。
毎日午後になると 大勢の子ども達が出入りするようになり
夕方は送迎の車の多いので 道路に出て交通整理をしました。
近所に怒鳴られることもありましたが、頭を下げることは苦になりませんでした。
教室が一間しかないことで、入会希望者を断らなければならない事態も出るようになりました。

どうしたら良いだろう。不動産会社に相談をしました。
安くて広いところで、通ってくる子ども達のために同じ町内という難しい条件の中、
6ヶ月かけて探した結果、50坪の2階建ての新教室を借りることができ
同じ時間に3つのクラスを開くことができるようになりました。

やってみたいことを自分達でいろいろ試してみました。
クリスマスパーティ、発表会、保護者懇談会、進級説明会、
English Time、特にハロウィンパーティは、
建物全てをHaunted Houseにして盛大に行い、
地元タウン誌も取材に来ました。

そして 保護者を募ったファミリークラブが発足。
お母さん達の協力体制を得て
チャリティバザーもやりました。
そんな経験の中で教材を生み出すことになりました。


●8 − 現場から生まれた教材  ”英語紙芝居”

現場から生まれた教材は、ハロウィンの絵本。
阿部美幸がひとつひとつ手で描いた絵を色画用紙に貼り付けて製本したBIG BOOK。
どのクラスでも盛況でした。子ども達が喜んで聴いてくれました。

「貸して〜!」と子ども達は触りたい。
しかし、手作りの絵本はすぐにやぶれてしまいそう。
「ごめんね」と言う私達。子ども達が触ってみたいのに、
ダメという自分に矛盾を感じました。
なんとか、これをもっと頑丈なものにできないか、
そして、もっと多くの子ども達に
このお話を伝えることができないか・・・

そこから私達の試行錯誤が始まりました。

「英語紙芝居」の誕生です!
1年を通じて、子供たちに知ってもらいたい異文化と、子ども達へのメッセージ。
お話を通じて子ども達に感じる心を育ててもらいたい。
子ども達に 「友情」 「夢」 「挑戦」 「家族への愛」
色々なことを学んでもらいたいという現場の教師ならではのメッセージを
この紙芝居のシリーズに託しました。

多くの試行錯誤は、いつも「子ども達への思いが柱」です。
子ども達が感じる心を持てば、必ず生きた言葉が生まれます。
そう信じて、ステラちゃんのシリーズを世の中に出すことを決心しました。

昼間はレッスンをしていますから、作るのは夜中です。
デザイナー、音楽製作に関わるアレンジャー、レコードエンジニア、歌い手、セリフ、
関わる人達すべての力を凝縮して、完成したステラちゃんの物語。
そしてそれを伝えるメッセンジャーとして、現場を駆け回る日々が続いています。


●9 − 21世紀の子供達へ ステラエデュケーションの願い

子ども達に託す思い。

私たちは、日々、多くの子供たちに接しながら、
彼等の長い人生の一部を共に過ごすことができる幸せを感じています。
講師室では、先生達が 子供たちをステップアップさせるために常に努力をしています。
年間のレッスン目標だけでなく、子供達がそこに至るまでの努力を事細かに記録しています。
週にたった1度でも、長い期間 お預かりする子ども達に
「学ぶことの楽しさ」と、「知ることへの興味、意欲」をどうやって引き出すか
常に研究を続けています。

ステラエデュケーションの願い・・・
ステラ、それは
「一番星、一流の、主役の」という意味を含んでいます。
ひとりひとりの子ども達が、それぞれに輝いて、
それぞれが主役になれるように。
子ども達に意欲と自信を得て、
世の中に役立つ人たちになってもらいたい。

そんな願いをこめて私達ステラエデュケーションは
さらに新たな挑戦を続けていきます。
子ども達が21世紀を担う大事な社会の存在であることを自覚して
自信を持って歩んで欲しいと願ってやみません。


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